10日程前から目の調子が悪く、ホームドクターであるひふみ診療所で診察を受けると、「中心性網膜症」と診断された。10年前にも同じ病気になり、その時はレーザーで開いた穴を塞ぐ治療を受けたのだが、今度は別のところに穴が空いて中心部が見づらくなったとのこと。その穴が中心に近いことから、点滴での自然治癒という治療法で現在進行中。
原因はストレス。吉田院長曰く「仕事のしすぎ、イライラしてはだめ」とのこと。おまけに、酒、肉はとらないように、仕事も程々にということだが、それは私にとってますますイライラが募ることばかりである。先生に頼んで、1日ビール一杯と仕事をすることは許して頂いた。ただ、よく睡眠はとることを約束。
診察初日の晩は、夜8時にベッドに入った。そこへ枕元の携帯がなる。事務所からだ。用を済まし、もう一度寝ようとしたが眠れない。そんな時、ふと1年前の親戚の49日の法要で、臨済宗の若い住職の言った話を思い出した。その内容はこうである。
昔、ある偉いお坊さんが極楽を探しに旅に出た。最初は西を目指してどこまでも。でも見つけることができず、次に東に向かってどこまでも。でもやはり見つからず、今度は北に向かって行ったのですが見つからず、その帰り道、つまり南に向かう途中で、ついに見つけた(悟った)そうです。それが、次の言葉です。
「極楽は、西にあらず、東にも。来た(北)道探せ、皆身(南)にあるぞ。」当初私は、この「皆身にあるぞ」に感心していました。しかし、この眠れない夜に気付いたことは、「来た道探せ」がポイントだということ。つまり、自分の今までの行ないの中に極楽が存在するのだから、極楽といえる状態を自分で作らない限り、極楽はない!今のこのイライラはすべて自分が原因を作ったのだと。「なんだぁ、そうだったのか」とすっきりはしないのである。